フェニックス・ライジング・ヨガセラピーのトレーニング(600時間)は前半が終了し、
7月からは後半に入ります。
この過渡期のタイミングで、仲間全員が集まって研修を受けています。
ミッドタームといいます。
1年以上も前から、この研修日程は決まっていて、
そのことを了解の上でトレーニングが始まりました。
そして、当然のように参加するものだと思っていました。
けれど、今回は東京での新型コロナの感染拡大が、
出発の2~3日前から連日100人超えとなっていき、
心がとても大きく動揺する体験をしました。
「やらずに後悔するより、やれば学びしかない」というこれまでの捉え方では、
おさまらない何かがありました。
逆に、やることで後悔するかもしれない可能性も感じていました。
今の東京に行くのか、行かないのか、結論のないままその間を行ったり来たり、
出発ギリギリまで、揺れるだけ揺れてみようと決めました。
数字だけを聞いて、九州から離れた東京のことをイメージし、
ニュース報道や表面的な情報をキャッチしては、「怖さ」「行きたくない」が沸いてきました。
自分を守ろうとする心の働きが、
体を守るために、サインを出しているような感じです。
大人の対応なら、「行くと決まっていた」ところに集中して、
その結論ありきで対策とマインドをセットし、
細かい不調和については無視すれば済むことなのですが、
今回はせっかくのトレーニングなので、
自分の中にある微細な不調和についても、オープンにしてみました。
そんな状況で、他の仲間はどう感じているのだろう?
怖さがあるという状況や疑問を、そのまま、仲間に伝えてみました。
すると、東京での今の生活の様子を教えてくれるコメントをもらって、
自分の生活周りの様子と同じように、生活が営まれていることがイメージされて、
そこから、東京滞在をどのように過ごせば、安心できるかが見えてきました。
師からも、どうしても不安があるなら「オンラインでの受講」の選択肢も提示いただき、
いよいよ
自分の意志で行くか行かないか、決断しなければならない分岐点に立ち、どちらの道の可能性を選ぶのか。「来い」と言われているから行った...という他責ではなく。
内側で感じる反応と照らし合わせながら、体と対話を繰り返していく。
すると、「どこでもドアがあれば行くの?」って、内側から聞いてきたので、
「うん」とマインド(頭)が返しました。
だったら、不安に思っているのは「移動」だということが、クリアになってきたので、
飛行機、ホテル、電車に関する情報を調べ、必要な手続き、変更をしていきました。
リアルな情報を得るごとに、自分の安心できる部分を広げていった、
または不安な部分が知りたがっていたことを与えたら、
安心に向けてそこも協力し始めた感じです。家族とも話をし、納得が得られました。
そして、東京に行くことを決めたのは、前日の夜10時でした。
安全に最善を尽くせるなら、場に身を置いてみなければわからないことを受け取りに行くと
心が決まりました。
この決断のプロセスの中で、やっぱり助けになったのは、
「体の智慧」です。
体のあちこちで感じている緊張や不安について、体が伝えてくることを、
マインドはジャッジせず、体に共感しながら、情報として受け取っている感じがしました。
全部出尽くすまで言ったらいい、と許してる感じ。気づけば、2~3日続いている展開に、中心は安定しながら踏みとどまれる自分がいました。 そして不思議なのが、その分岐点にいる状態が苦しみではない。葛藤でもない。どちらの選択肢もあるというスタンスで十分に吟味している状態だったこと。 最終的に、当日、普通に参加している結論だったとしても、
私にとって必要なプロセスを通過して、
迎えられた学びの場には、たくさん受け取るものがありました。それを可能にしてくれたのは、「体の中に留まる時間」の積み重ねです。このプロセスを許していただけた環境のおかげで、ミッドタームの「学び」に集中することができています。
今日は最終日、行ってきます。
フェニックス・ライジング・ヨガセラピーでは、
体との対話を通して、自分が大切にしていることや、生き方が表れてきます。
それをジャッジせず、そのままの現在地を受け取ったところから、どうありたいかを選択していく。
自らが願う方向性に向かって、一歩踏み出す勇気を、自分の中から見出していく展開が一人ひとりに待っています。
きっと、その勇気が日常を、そして人生を動かしていくと、実感をもって言えます。